別館

2011年04月09日 Sat

三度目の復興

金沢大学主催の東北地方太平洋沖地震の被害調査速報を聴いてきました。

やはり、津波の被害はひどい。
通常、地震による被害者数は、「軽傷>重傷>死者」の関係にありますが、津波の被害者は重傷者や軽傷者はほとんどいなくて、無被害か死者なんだそうです。
逃げられれば助かる、逆に言えば、逃げられなければ死ぬ。
寒気のする構図です。

建物も津波が押し寄せた一線を越えるとほとんど被害はなく、押し寄せた場所は何も残っていません。
本当に恐いです。

今回の地震で最も被害の大きかった町のひとつ、「南三陸町」に住む人の津波に対する防災意識の話は大変興味深く聴かせていただいた。
いつもは工学関係者の話ばかりですが、人間科学系の先生の話は新鮮でした。
地震が起こる前に南三陸町の方にヒアリングした内容の紹介でした。

ヒアリングに応じてくれた方には、今回の地震で最後まで町民に避難放送を呼びかけ、津波到達とともに行方が分からなくなった女性もいたそうです。
言葉がありません。

この宮城県北部にある南三陸町は過去に津波による大きな被害を2度経験しているそうです。
869年の貞観地震と1960年のチリ地震。

チリ地震では地球の反対側で起きた地震の24時間後に到達した津波が街を飲み込んだと言う。
この町の人は2度も津波に飲み込まれた街を復興したのだそうだ。

そして津波の恐ろしさを忘れぬよう、街のあちこちの建物に津波で水没した高さが示されている。
公園では、大人の頭をかるく越す高さに津波の水位が示された看板の下で子供達が遊んでいる。

街のいたるところに、避難場所の看板があり、道には避難場所までの誘導サインと看板が示されている。

津波は昼間にくるとは限らないから、看板や避難通路には電灯が設置されている。
夜でも逃げられるように・・・

昨年起きたチリ地震の際には津波警報が発令されると即座に町民全員が避難場所に避難し、津波への危機意識が徹底されていることが証明されたそうだ。

今回の津波でも100%の町民が避難したであろうことは想像に難くない。
にもかかわらず、津波は町民の半分以上の命を奪った。
あまりに惨い。

報道では想定を超える地震と言っているが、この街にとっても想定をはるかに超える津波だったのだろう。
今回の地震は継続時間が長く、避難行動までに要する時間がかかったこと、地震発生から津波到達までの時間が短かったことも被害が大きかった要因の一つだと言う。
無念だったろう。

個人的には津波におそわれる危険性が高い場所に家を建てることは反対だ。

しかし、この町の人は、きっと津波に飲み込まれた南三陸町をみたび再生するだろうと先生は話していた。

それが生き残った彼らの望みだと言うのならば、応援するしかないだろう。
posted by Jango at 18:05 | 石川 🌁 | Comment(2) | TrackBack(0) | 随筆