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2012年08月05日 Sun

がんばれNIPPON!

連日熱戦が繰り広げられるロンドン五輪。
寝不足で仕事がつらいのは僕だけではないだろう。
日本の金メダル第一号の松本薫は石川県の出身なので深夜の応援にも熱がこもりました。(笑)
体操の内村航平もすばらしかったなぁ。

日本のオリンピック初参加は今から100年前のスウェーデン、ストックホルム五輪。
当時の日本選手は三島弥彦(100m、200m、400m走)と金栗四三(マラソン)の2名のみで、団長はあの柔道の父と呼ばれた嘉納治五郎だったそうだ。

調べて見ると、この3人・・・すごいんです。
1人1人が1冊の本になってもおかしくないくらい面白そう。
柔道にあかるくない僕でさえ嘉納治五郎くらいは聞いたことがあるが、三島さん金栗さんもなかなかどうして・・・
経歴をウィキペディアで読むだけで、誰かドラマや小説にしてくれないかなぁ〜と思うほど。

嘉納治五郎と三島弥彦の話は次の機会にゆずるとして、今日は金栗さんのことについて書いておこうと思う。

ストックホルム五輪に向けたマラソンの予選会に出場した金栗三四は、マラソン足袋[↓写真参照]で当時の世界記録(当時の距離は25マイル=40.225キロ)を27分も縮める大記録(2時間32分45秒)を出した。
世界記録を30分近く更新したのだから、金メダルへの期待も否応にも高まるだろう。
KANAGURI.jpg

しかし、現実は厳しかった。
当時、日本からスウェーデンへは船と列車で20日間もかかり、マラソンの当日は、金栗を迎えに来るはずの車が来ず、しかたなく競技場まで走っていった。
その上、気温は北欧大会にもかかわらず40℃ちかい猛暑にみまわれ、マラソン参加者68人中34人が途中棄権した。
(内ポルトガル代表1人が倒れた上、翌日死亡している)

そんな過酷な条件の中、我らが金栗はというと・・・

レース途中で日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。その農家で目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝であった。
どうしてそんなことが起こりえるのか理解できないが、金栗の記録は「途中棄権」ではなく「行方不明」となっていたと言うからさらに驚く。

ストックホルム五輪から55年後、金栗(75歳)にスウェーデン・オリンピック記念行事の招待状が届く。

「あなたはマラソン競技で行方不明になったままなので、ゴールしに来てください。」

オリンピックの記録には「棄権」はあっても、「行方不明」は無いための処置であった。その粋なはからいに応え、スーツ、ネクタイ、コートといういでたちでゴールを果たす。
スタジアムでテープを切ると、
KANAGURI2.jpg

「日本の金栗、ただいまゴールイン、タイムは54年と8カ月6日5時間32分20秒3。これをもって大会の全日程を終了します」

とアナウンスが流れたそうだ。
言うまでもなく、マラソンの最も遅い記録だが、なんとも微笑ましい話ではないか。

インタビューに金栗は、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」
とユーモアあふれるスピーチをしたそうだ。

ストックホルム五輪での経験から、今では当たり前になった高地トレーニングや耐熱練習を考案し、孤独な長距離の練習をチームでやろうという箱根駅伝は金栗の発案で実現した。
金栗の功績を讃え、箱根駅伝の最優秀選手には金栗四三杯が贈呈される。

当たり前の技術が、偉大な先人の知恵と経験により成り立っていることを忘れてはならないし、さらなる知見を付加して次の世代に手渡せるよう努力したいものだ。

さて、ロンドン五輪に話をもどして、残り一週間、またまた眠れぬ夜が続きそうだが、仕事に支障がでない範囲で精一杯日本を応援したい。

がんばれ日本!

ちなみに、日本はストックホルム五輪のみ「NIPPON」と標記され、それ以降はすべて「JAPAN」となっている。
個人的には「NIPPON」でも良いのになぁ。(笑)
posted by Jango at 18:22 | 石川 ☀ | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記